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2016年11月29日 (火)

「現代の快適な社会」からの一考察

ネットを見ればなんでもわかる

スーパーでは世界中の嗜好品hが手に入る

映画もレンタルで見放題

飲食店では快適な空間でおもてなしが充実

快適な環境になったら、、、

快適でないことが「悪」になる

そう考えた時

進化してほしいのは「もの」「生活」ではない

「幸せを感じられる時間」「生きている実感」あたりかな、と

ものは進化してさらに進化を進める

それによって人の生活も便利でなんでも苦労しなで手に入る

翻して

例えば、

富士山のてっぺんに登りたければ、ヘリコプターではなく、

雪の中を苦労して汗をかき、愚痴を言いながら、「もう嫌だ」と嘆きながら自分の足で登り詰める

そうしているうちに、もっと歩き方を工夫したら息切れしないぞ、と気づいたりする

仲間に励まされ、励まし、登る

そこに、「いったい自分に必要なことは何か」がぼんやり感じられる

言葉にできないけれど、「この感じ」「生きる感覚」が手に入る

生活の中でもっとも大切なものは

不便の中から生まれ、発明され、真の意味で進化するのではないかな

それを気づけなくしてるのは

「おもてなし」も含めた「誤解」

真の「おもてなし」は「ちょっとして身近の人への配慮」じゃないかな

画一的に動作で決められた、お店などで受ける「おもてなし」の動作などは、実は「偶像」「ただのそれらしい真似」

でも。

現代の日本国では「そういうおもてなしみたいなもの」が重要視され、それができない企業や、学校や、社会は「悪」になる

過去にあった「真実」は

近所の悪ガキの絶え間ない喧嘩の中ででてくる「ガキ大将」や「東風の達者な娘っこ」など。

いいこと、わるいことが、小さな文化の中で育つ。

それは大人になっても同じ。

便利でない社会は、近所のまずい店のラーメン店や、愛想の悪い店主の不便な応対など。

でも、そこには、人と人の折衝があり、隣近所の噂や、交渉、仲良しの家庭間の差し入れや、おねだりや、相互間のやりとり。

不便の中で「本当はこうしてほしい」が言葉になる。

今のようなネットでなんでも注文できて、なんでも調べられて、テレビ電話で会話もできる。

それが「人が求めている文化」だとは思えない

そのうち、機械に、コンピューターに文化をすべて任せられる時代がくるかもしれなけれど、たぶん、人は、生き物は、それを求めてないと感じます

もっと、面倒なことでいいから、自分の足で歩ける道を欲しがるんだろうな、と

雨が降れば濡れてもいいさ

風が吹けば吹かれていいさ

異常気象からの地球の異変が、そのうち、世界のホモサピエンスをある程度、淘汰する気がする

その時に備えたほうがいいかも

島田紳助さんが沖縄に移住して元気に過ごしてるらしい

健康になってるらしい

以前から気にしてた世界中に増殖した「都市化社会」って

養老孟司さんが言ってた

それは、人を人から「人でなし」に変えてる気がする

それを後押ししてるのが

「画一的なおもてなし」「丁寧な接客」「人には笑顔を」など

裏返しが「嫌われる勇気」に代表される「人間らしさ」

人間はもともと「わがままなもの」なのでしょう

「いいかげんなもの」なのでしょう

正確な時間管理の日本の電車の時間

それって、いちど逆をやってもるのもいいのかも

大きな地震や天変地異の準備のために、、、、

そして、ほんとうの「ゆとり」を知るために、、、

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